愛する人の自死を通して〜私は生きる〜

父の自死を通して見つめた人生、命、生きる、死ぬ、の探求

置かれた場所に執着せず、綿毛のように

 

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

 

内容紹介

「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください」
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

 

大ベストセラーです。

内容は上記のAmazonサイトからの引用部分ですべて把握できるとおりです。

著者は、キリスト教カトリック修道女である渡辺和子氏です。

マザー・テレサの通訳を務めた人なのだそうです。

 

父は、「2・26事件」の軍事クーデターで殺された渡辺錠太郎で、9歳のときに自宅で目の前で殺害される現場をみたそうです。

 

 

あぁ、なるほど。

置かれた場所で咲きなさいとは、きっと著者が体験したこの逃げられない壮絶な過去の体験が深く関わっているのだろうなぁと思いました。

 

過去の事実から逃げること誰もできず、良くも悪くも生涯ついてくるものです。

受け入れなくても受け止めきれなくても、肯定しても否定しても、過去の一つ一つの経験、体験が積み重なって今の自分ができています。

 

そういった意味では、確かに置かれた場所、つまり過去の経験の積み重ねから構成されている今の自分から逃げることはできず、置かれた自分で花を咲かせるしかない、という主張はある程度腑に落ちます。 

日本人は自己肯定が苦手で、自己否定が世界的に見ても強いとも言われている中、ありのままの自分を受け入れ、自分の花を咲かせようというのはSMAPの、「世界に一つだけの花」の歌詞の中にある、

世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」

と通じるものを感じます。

 

当然自己は簡単には変えることはできません。マインドコントロールや宗教にでも入らない限りは。 

でも意識を少しずつ変えていくことはできます。

 

小さな幸せや喜びを見つけ、その小さな幸せや喜びをただ認めること。自分を卑下しがちなときに見落としがちなものです。

 

自己卑下は、「幸せの否定」です。

 

「わたしには幸せになる権利なんてない」 という人がいますが、幸せになる権利とは一体なんなのでしょうか?

 

もし大切な人を守れなかったから、というものであるのならば、同じ状況だった人にも、その権利のあるなしが適用されてしまいます。

あなたは大切な人を守れなかったのだから幸せになる権利はない、と。

 

「なんであんたはそれで笑って生きてられるの?」という全く関係ない他者に対しても恨みつらみのルサンチマンの塊となってしまいます。

 

「わたしには幸せになる権利はない」という主張は、

「同じ経験をした人も、幸せになる権利はない」と言っているのと変わりありません。

 

まずは否定しないことが大切です。

美味しいものを食べたら、美味しいと、

晴れた日には、気持ちいいと、

お笑い見てクスッとして、おもしろいと、

買い物が普通にできて、良かったと、

幸せはそこら辺に転がっています。

 

もちろん感じ方は千差万別です。

わたしはラーメンとビールとチョコとスポーツと自然との触れ合いが個人的な幸せの指針です。

もちろんあの直後は、感受性が完全にシャットダウンしていて、何を食べてもお酒を飲んでも走りにっても何も感じられませんでした。

でも否定し続けない限り、いつかなにかの幸せに気づくはずです。

もしかして何か一つ気づいているのでは?

それを否定していませんか?

 

話が逸れました。

 

「置かれた場所で咲きなさい」、この本の受け入れられないところは、つらい状況であってもそこで咲き続ける努力をしなさいという主張です。

昔は石の上にも三年と言いました。

時代のスピード感や社会情勢は圧倒的に変わったのにいつまで3年も耐えないといけないのか。

終身雇用制度があったからこそ、ある程度、時間や問答無用の転勤など身の犠牲があっても耐えるに合理性があったかもしれませんが、いまは時代錯誤甚だしいとのではないでしょうか。

 

不条理な世界からは一目散に撤退するべきです。

弱いから撤退するのではなく、これは勇気ある撤退です。

 

綿毛のように風に吹かれるように生きていける時代になりつつあります。

そこに固執する必要はありません。

学校も、部活も、会社も、家庭も。

 

結局、支離滅裂になってしまったので、ここで一旦終わりにします。

 

次回は、TwitterのDMで「どういった本や映画を読んで、そのような思考に至ったのですか」という質問を頂いたので、それにお答えする内容にしようと思っています。