悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

この国は本当に自殺者を減らしたいのか?「自殺で迷惑がかかる」というのを嫌っているだけではないのか?

こんな記事がありました。

 

biz-journal.jp

以下、抜粋です。

相談員になるためには、まず17年10月から18年7月まで月3回、1回当たり2時間の講習を受けなければならず、その受講料2万5000円も受講者が負担する。 ここまでが前期養成講座で、さらにそのあとインターンとして約1年の実習があり、相談員としてふさわしいと認められると認定される。そのようにして相談員になっても無報酬であり、交通費も自己負担だ。

 

なぜ「いのちの電話」の相談員は、無報酬なのだろうか。 「島根いのちの電話」のHP内の「いのちの電話とボランティア活動」というページでは、「なぜボランティアなのか」を説明している。そこでは、専門家ではなく、似たような悩みや苦しみを味わったことのあるボランティアが、同じ目線に立って共に苦しむことに活動の意義があると説明している。

 

だが、これほど社会的に必要とされており、かつ専門性の高い仕事がボランティアであることが、果たして本当に正しいのかだろうか。 メールやLINEが全盛の時代に、いまや電話は「前時代的な通信手段」となりつつある。「話し合うふたりが同じ時間を共有しなければならない」という電話の特性は、かえって敬遠される理由にもなっている。しかし、この同時性から生じる「相手が今、話を聞いてくれている」ことこそが、「いのちの電話」が求められる理由でもある。 

相談員になるため2万5000円の受講料自己負担、その後1年のインターン実習、そこで認められなければならない。また無報酬、且つ交通費も自己負担。

 

そしてなぜ相談員は無料なのか?

専門家ではなく、似た境遇で同じ痛みがわかるボランティアでないと同じ目線に立って悩みや苦しみを共有できないということ。らしい。

 

ん??

なんだか全くもって意味不明です。

つまり同じ境遇の人で、経時的に余裕があり、時間的にも余裕がある人でないといけないということなのでしょう。

 

そもそもそんな人、いますか?

同じ境遇ということは、自死遺族、もしくは大切な人を突然失った人のことでしょうか?

過去いじめを受けていた人でしょうか?

生きづらく死にたいと思ったことのある人でしょう?

 

同じ境遇をした者は、殆どの人が生きることに苦悩し、自分の世界で精一杯です。

取り払うことのできない苦しみ、悲しみ、後悔、自責の中、日々それでも暮らしていかないといけなく、どんなにメンタル的に弱っていても多くの人は働きに出ないといけません。

 

働くことは誰しもが大変なことです。

(以下からは自死遺族に限った話ですが…)

いくら自死遺族といっても世間はなんの考慮もしてくれません。

というか、自死遺族だと打ちけることがまずありません。

考慮してくれと願っているわけでも多くの場合はありません。

 

しかしフラッシュバック的なものは多くの自死遺族が抱え、物理的に日常生活を送ることが困難な日があることも事実なのです。

 

本当に日々必死です。

 

そんな境遇の人に、2万5000円の負担、1年の実習、そして無報酬の交通費なしなど誰ができるでしょうか。

 

中には自死遺族の人でも、NPOを立ち上げたり、自死遺族の会の代表となり活動されている人もいます。

多くの自死遺族がそういったものに救われていますが、だからといって自死遺族にそういった活動をしなさいというのはあまりに酷な話です。

 

それはいじめ被害者にしろ、生きづらさを感じている人にしろ皆同じではないでしょうか?

ボランティアをしながら、しかも相当な出費や時間的拘束を受けるのに、一般人や専門家ではなく、同じ境遇者を求めるって…。

 

 

これは果たして当事者たちが決めたことなのでしょうか?

専門家ではだめで、同じ境遇をした者でないと、同じ境遇者が決めたことなのでしょうか?

 

2万5000円もの研修を受け、1年ものインターン実習もするのならば、もはや同じ境遇というのは関係ないのでは?

話の聞き方、受け応えの注意点など傾聴技術を身につければもはや…。

 

一体誰がどんな目的で主導しているのか気になります。

本当に助けを求め命の電話にかけてきている人に対し、専門的な知識を持っているお金をもらっているプロフェッショナルのほうがかえっていい気がするのですが。

 

お金を出せないから無理やり、同じ境遇者というのを取って付けているようにしか感じません。

 

 

この国は本当に自殺者を減らす気があるのか。

全国に徐々に広がる自死遺族の集いに然り、いのちの電話にしかり、現場にお金が落ちてきません。

稼ぐという以前に、運営すら自費運営の場合や参加者に参加費をもらうことは多々あります。

 

私も会に参加していたとき、いくら少額とは言え出費が痛く、参加できなかったこともありました。

 

 

また多くの人は、自殺者を減らしたいとは大して思ってはいないのではないでしょうか?

鉄道飛び込み自殺は特に多くの人に迷惑をかけるため、勝手に一人で死ねという声が大部分をしめ、「なんでブラック企業はなくならないんだ」、「なんでいじめはなくならないんだ」「なぜ大の大人たちはそういった問題を隠蔽しようとするんだ」「なんで就職斡旋するハローワークの職員の大部分が非正規の不安定雇用なんだ」「なんでこんなに人を追い込む社会なんだ」という大合唱はおきません。

 

それはきっと人々が、特に満員電車に日々揺られ、心を無にしないと通勤できない過酷な環境の人々は一寸の精神的・時間的余裕もないため、人が死んだ背景など関係なく、自分の人生にいきなり介入し乱す鉄道飛び込み自殺が許せないのでしょう。

 

そうなってしまう人の心は誰にも責められません。

どちらも不幸なのです。

 

書きなぐってしまいましたが、本当に助けを求めている人を助けるには、寄り添うには、お金の問題を避けては通れません。

 

それをただでさえ人口減少時代、格差社会時代にボランティアに頼るなど言語道断です。

 

「似たような悩みや苦しみを味わったことのあるボランティアが、同じ目線に立って共に苦しむことに活動の意義があると説明している。」

と語った人が当事者なのか?そして本当にボランティアでないと寄り添えないと思っているのか聞いてみたいものです。