悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

死の捉え方は千差万別 みな同じ思いを同じように共有しているわけではない

死。

誰もが誰かの死を体験します。

順番があるとしたら祖父母、両親の順で子供は死を体験するのが一般的でしょう。

 

生まれた時、祖父母が存命でない場合、親の死がはじめて接する死であることもあるでしょう。

祖父母の死を経験している場合と、していない場合では親の死の捉え方は大きく変わってくるはずです。

 

かわいがっていたペットの死を経験などもその後の死に対しての感受性を大きく変えていくはずです。

 

家族がいるほとんどの人は祖父母の死を最初に体験し、親を看取り、自分の番が来ると思いがちです。

しかし家族が順番どおり死ぬとは限りません。

子供が先に、兄弟が、孫が先に死ぬなど若い人が、昨日まで健康だった人が突然死ぬことは、周囲に想像を絶する影響を与えてしまいます。

 

やはりその死が、若ければ若いほど衝撃は大きいのです。

不慮の事故、病い、自殺。

 

80歳の親が死ぬのと、30〜40歳の親が死ぬのでは社会的影響は段違いです。

 

事故や災害などで多くの人が一瞬で亡くなってしまうこともあります。

 

しかしここで留意しないといけないのは、同じ環境で大切な人を亡くしても、

同じ親を亡くした兄弟姉妹でも、

子供を亡くした父親、母親でも、

捉え方、感じ方は違います。

 

早くから社会復帰しようとする人、

生きる気力を取り戻せずずっとふさぎ込む人、

病院にかかる人、

食欲がある人ない人、

泣き腫らす人、涙がでない人、

気晴らしに外に出る人引きこもる人。

 

それぞれの行動も違います。

私はこんなにも落ち込んで一歩も外に出れないのに、あの人はいつも遊び歩いている。

私は一切食事が喉を通らないのに、あの人はいつも元気に食べてる。

 

復興でも、周りはもうみんな前を見きはじめているのに私だけいつまでもダメなんて言葉が聞こえてきます。

 

親を突然失った人に、それはまぁ一応順番ではあるからと諭す人。

子供を失くした人は順番が変わって逆縁だからつらさはその比じゃないよと、呪文を発する人。

 

人の死は必ずですが、捉え方は千差万別です。

そこに強い弱い、前向き後向き、積極的消極的などありません。

 

いつまでクヨクヨしてるんだ、という言葉はもはや言葉ではありません。

 

例えば消防士と看護師も、同じ人命を扱う職業ですが死の捉え方は違います。

 

人命を救出する側と人命を看護する場合では全く違います。

 

人の死への捉え方は人の数だけ違います。

またその人が死別を含め体験した人生によっても大きく変わってきます。

 

会社では忌引き休暇は祖父母、親、子供で日数が変わってきます。

しかしその忌引き休暇を全て使いきれることなど日本社会ではほぼありません。

 

いかに迷惑をかけず、せめて葬儀とその他1、2日程度くらいしか休めません。

むしろ少ない休みで出社したほうが会社に貢献しているとさえ思われてしまいます。

 

当然の権利としてある忌引き休暇を全て使い切って出社などしようものなら、村八分になってしまいかねません。

 

一応の区切りをつけて社会に対峙しないと、批判を集中砲火されてしまうのです。

早く立ち直れ

周りはもう前を向いている

辛いのはお前だけじゃない

 

人の死さえの向き合い方も前ならへ右向け右でなければならない社会

それが集団で生きていくことなのかもしれないけれども、大切な人の死に遭遇した人にたいし、もう少し想像力が働く社会になって欲しいと思ってしまいます。