悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

小林麻央さん、安らかに

本日6月23日、小林麻央さんが亡くなったと速報が入ってきました。

 

小林麻央さん死去 34歳 | 2017/6/23(金) 11:18 - Yahoo!ニュース

麻央さん 闘病中ブログ357回 | 2017/6/23(金) 11:53 - Yahoo!ニュース

 

ご主人の市川海老蔵さんは、午後2時30分から会見を開くということでしたが、会見前にすでに世間の知ることとなってしまいました。

 

海老蔵さんの発表前にマスコミが発表するなんて言語道断だ!という意見も多くありますが、ある意味仕方のないことだとも思います。

麻央さん、海老蔵さん双方が自らブログで発信をしており世間の関心も物凄い高かったので、マスコミも世間もそっとできるわけがないのはある意味自然なのではとも思います 。

このことが芸能人だからプライベートは何もないということには一切繋がりませんが…。

 

芸能人のブログは一切読まなかったのですが、彼女のブログだけはいつも読んでいました。

日々病魔と闘い、希望、不安、後悔を生々しく綴っており、それはまさしく生命の輝きのように感じていました。

 

平均年齢から考えると、34歳で亡くなるのは余りに早いです。

子供たちが幼く、日々の成長が一番楽しみであり、親としての生きがいにもなっていたはずです。

さぞかし無念だったでしょう。

 

多くの人も「幼い子を残してどんなに無念だったか」と思うでしょう。

でも、一体いつまで生きれば十分だったのでしょうか。

70歳で亡くなっても、「まだ若かった」、「まだまだこれからだった」という言葉を聞くことは少なくありません。

 

子供が成人していれば?

子供が就職していれば?

子供が結婚していれば?

子供が子(孫)を産んでいれば?

 

きっといつの時点でも「さぞかし無念」となるはずです。

 

いったい私たちは大切な人たちにいつまで、どんなときまで生きて、どんな亡くなりかたをすれば、「本望」と思うのでしょうか。

 

生きること「だけ」への執着が強すぎると、その人が死んでしまったことだけがただただ悲しく無念で、死んでしまった事実だけがその人の人生を表し「若くてかわいそうだった」、「苦しんでかわいそうだった」、「残した家族がかわいそだ」となってしまうのではとふと思ってしまいました。

 

その人が生きた人生は数年であろうが、十数年であろうが、数十年であろうが、輝いて命を燃やして生き抜いたのではないでしょうか。

 

最期をみれば、その最期がつらく、最期の印象ばかりが強く残り「無念」、「かわいそう」、「まだやりたいことがあったどろうに」となってしまいがちです。

 

もちろんグリーフケア、喪に服すという行為は大切で、しっかり悲しみ、故人を慈しむ行為が、亡くなった人を自らが受け入れられる土台を作ってくれます。

 

悲しみ、打ちひしがれ、ときに絶望するほど孤独や後悔、自責、無念を感じるのは、人間として当然です。

 

そしてゆっくりゆっくりその人が輝いて生きた「輝かしい命の時間」を思い返し、「無念」という概念を昇華していくことが大切なのかなと個人的に思います。

 

私はどうかと聞かれると、「その日による」としか言えないふつつか者です。

 

病魔と闘うという表現はありますが、小林麻央さんは病気に負けたわけでありません。

負けて死んだわけではありません。

天寿を全うしたのです。

 

死ぬことは負でありません。

 

小林麻央さん、安らかに安らかにお眠りください。

「おもいのこし」は残されたそれぞれの未来の、生きる糧となっていきますように。