悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

自死遺族の先輩

先輩後輩という概念が強い日本。

とにかく年功序列で、ただ年だけが、年数だけが長いだけで、たとえ能力に欠けていたとしても威張り散らす人が多い日本。

 

そんな先輩後輩を自死遺族にあえて持ち込んで、私が感じたことを書いて見たいと思います。

 

自死遺族の会に参加した当時の思い。それはひとえに元気になって活き活きしてて、

 

「確かにあの出来事はあまりにつらく地獄のような日々が続いたけど、今はそれも糧にして強く逞しく元気に幸せに、あの人の分まで生きています」

 

という言葉を求めていました。

だってあんな経験をしても、その先5年も10年も生きているなら「生きる意味」を強く見出しているはずと信じて疑いませんでした。

 

しかし遺族の会に参加した私は打ちひしがれました。

あの日の思いは1ミリも減ることなく、乗り越えるでもなく、悲しさが癒えたわけでもなく。

 

自死遺族になったばかりの私となんら変わることのない気持ちを何年も何年も抱きながら先輩遺族の方達は歩んでいました。

 

この思いをずっと抱えながら生きていくなんて無理だ。耐えられるわけがない。

 

そんな思いでいっぱいでした。

ただ遺族の会で知り合ってとても良くしてもらった人と個人的な交流をするようになりました。

 

私より20歳くらい上の男性で、20歳前後の娘を亡くした人でした。

私は似ているわけではありませんでしたが、父と近い年齢ということもあり勝手に重ね合わせ交流させてもらいました。

 

お酒を飲みに行ったら話をしに喫茶店に行ったり。

その中でどう悲しみを抱え、どう生きているのか少しだけ知り得ることができました。

 

悲しみは小さくならないし、あの日の記憶が風化することもないけれど、それを内合して生きていると知りました。

 

その人とは今でも交流がありいくつかの遺族の研修会に共に参加し、そして遺族会の立ち上げを手伝わせてもらいました。

 

その人はいつももう夢も希望も何もない。ただ生きているだけ。その中で遺族のために動ける範囲で動いているといつも言ってました。

 

あなたが求める幸せや希望はないのですかと事あるごとに聞いてましたが、その答えは一貫して変わることはありませんでした。

 

そしてその人はいつも

 

「若い遺族は大変です。仕事も働き盛り真っ只中で、これから結婚や子供など人生のイベントがわんさかあり、それを実行するのにしないのも大変」

 

と私に言ってました。私もいつもその人に、

 

「いや、あなたもあなたより年上の遺族がいて、その人からしてみれば、あなただって若くて、その年で人生終わったように達観するのは早いって言われますよ?」

 

と言ってました。

 

各個人の遺族がどう生きようが自由です。

酷な言い方ですが、後追いをしてしまう気持ちも理解できます。

背負ってずっと生きていけなど誰も助言できません。

ただ、ただ人生の予測は誰にもできません。

あの人の自殺という大事さえも予測できなかったのだから。少しは予測できていたとしても、止められなかったのなら同じです。

 

人生はどう転ぶかわかりません。

誰もが放棄するには人生、若すぎます。

幸せになる可能性は誰も微塵も否定できません。

たとえその人が望んでいなくても。

 

私はそのことを自死遺族になったばかりの人に伝えたいです。

 

また死のうとしている人にもです。

 

人生はどの可能性だって一切排除できません。

何か一丁前に達観して物事を断定するのは何事もよくないと私は思っています。

 

だって自分が信じていた「絶対」や「信念」、「希望」、「価値観」など一つの出来事で一緒で真逆に変わってしまう事もあるのですから。

 

自死遺族なら、大切な人を突然亡くした人なら知っているはずです。

人生は一緒で変わってしまうと。

 

でもそれはいつだってどっちの方向に行くかなんて誰にもわかりません。

 

早くに自死遺族になった人には特に言いたいです。人生を捨てるにはまだ早すぎると。

 

幼い我が子を、若くして親を、兄弟姉妹、恋人、友人。

誰を亡くしても人生に絶望してしもおかしくありません。絶望してしまうくらい大切だったのだから、絶望する方が自然。

 

絶望は続かない。幸せは絶対にくる。なんて綺麗事を言うつもりはありません。

 

それでもなお、人生は誰にも微塵も予測はつきません。それはだけは「絶対」です。

 

それなのに「もう何も変わらない」ということを絶対に信じるのは「絶対」におかしな話です。

 

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい自分で守れ

ばかものよ