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悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

自死遺族と仕事

仕事は生活する上で欠かせません。

仕事が好きな人もいれば嫌な人もいます。

仕事が好きな人のほうがきっと圧倒的に少ないでしょう。

 

たとえ好きなことを仕事にしたとしても、人間関係や通勤、残業、給料など悩みは尽きないものです。

 

しかし自死遺族にはさらに困難が待ち受けます。

「普通の死」とは違い世間では「異質な死」と思われています。

 

葬儀をするかしないか、本当の死因を公表するかしないか、しない場合はなんて口裏を合わせるか。

 

どの選択をしても苦渋に満ちています。

私の家では、葬儀をし、死因は別のものにしました。つまり家族で口裏を追わせました。ただし田舎の親戚には正直に伝えました。

 

何も悪いことも、恥ずかしいこともしていないのに、嘘を突き通さねければいけない。

それがなくなった人への「尊厳」と言う人もいるでしょうが、それは尊厳なのでしょうか。

 

忌引休暇を数日取り、職場復帰する人もいるでしょう。

私も2日後には復帰していました。

 

亡くなる前月に結婚したばかりで、比較的若くして親を亡くしたということで、職場の人から多くの励ましの言葉をもらいました。

 

「親が先に死ぬのは自然なことだから」

「結婚式は見せられて良かったね」

「あんまり落ち込むな。誰でもいつか死ぬんだから」

 

抱えていた大きなイベントでてんやわんやしていた私は、落ち込んでいる素振りなど見せることもなく、仕事に奔走していました。

 

しかし自宅に帰り、数日前の出来事から葬儀まで走馬灯のように思い出し、そして仕事での言葉が頭のなかでループし始め、パニックになりました。

 

同僚の思いやりのある言葉でできた研ぎ澄まされたナイフが、まだ血が滴る傷口を深く深くさらにえぐるのです。

 

そして数日後、職場でパニックを起こし倒れてしまいました。

病休や休職を挟みながらも、なんとか完全復帰しようとどうにかこうにか数年働き続けましたが、ダメでした。

 

私が担当していたイベントだけは大成功に終わらせましたが、その記憶はほとんどありません。いろんな準備をしながら人気のない裏では涙が出ていたことだけは忘れません。

 

仕事をするということは、同僚やお客、取引先など、多くの第三者と顔を合わせることになります。そして当然ながらその第三者と自身のプライベートは一切関係ありません。

 

プライベートを表に出してしまうなど社会人失格です。

そして社会人失格をやり尽くしてしまった私は長年の夢でやっとやっとなった職業から離れざるをえませんでした。

私の判断というよりもはや制度上の問題でした。

 

父が、親父が本当に喜んでくれた職。

私はもはやまともな生活すらも送れなくなっていました。

 

自死遺族の人でも、ずっと気を張りながら、歯を食いしばりながら働いている人は多くいます。独り身の人、結婚をしたばかりの人、子供を育てている人、親を介護している人。

 

辞めたくても辞められない。生きているようで死んでいる。

そんな数年で私は完全に壊れてしまいました。希死念慮が強く、薬漬けでした。

 

もう外で働くことは諦めています。

でも働いていないわけではありません。

徐々に徐々に、軌道に乗るように頑張っています。

 

日本は出産や育児、有給ですら取りにくい、(もしくはそれすらない)、社会です。

そして外れてしまったレールにはもう戻ることはできません。

再チャレンジを許容しない社会です。

多様性は認めず、みんなで首を絞めあう社会です。

 

子供のときにアメリカから帰国し一切日本語が通じつ、猛烈にいじめられていたあの頃に感じたことを、こんな大人になっても全く同じことを思いました。

 

なにも成熟しない日本。

せめて苦しみを感じている人々が少しでも繋がり合い、陰ながらでもともに支え合い生きていければと思います。