悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

自死遺族でもある宇多田ヒカル アメリカと日本の間で揺れ動くアイデンティティ そして私

宇多田ヒカルが8年半ぶりのアルバム「Fantôme」を発表しました。 人間活動に専念するということで、長い間活動休止していました。

 

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彼女のアルバムには自死した母への思いで溢れていました。

きっと彼女自身母になって感じたことも増えたに違いありません。

 

彼女はアメリカで生まれ育ち、日本でもアメリカンスクールに通っていました。

その影響もあり、彼女は自分がmアメリカ人でも日本人でも中途半端でアイデンティティが確立されていないとNHKの番組で言っていました。

 

そし私も幼少期、母に連れられアメリカに数年住んでいました。

ど田舎だったため日本人どころかアジア人すらいなく、街中の話題でした。

地元の新聞の取材を受けたほどです。

 

日本人学校もなく、現地で全てを吸収していきました。

母は学校と仕事で家にいることは少なく、最初は現地のシッターさんが来ていました。

小物を盗んだり母の化粧品を勝手に使ったりと、何度か変わったのですが結局いいシッターさんに巡り会えませんでした。

 

言葉は全くわからない、文化も全く違う、頼る人が誰もいない。

本当に幼児ながらに人生の過酷さを実感しました。

 

しかし幼児とは凄いものです。 たった数ヶ月で吸収してしまうんです。

帰国するときには英語はペラペラで、考え方もアメリカナイズされていました。

そして日本に帰国したときには一切日本語を話せなくなっていました。

 

当時、帰国子女はまだ珍しく、日本では壮絶ないじめにあいました。

アメリカでも多少のからかいはありましたが集団でいじめられることなどありませんでした。日本みたいに集団で一斉にいじめるというよりは、個人が個人に対してからかったり圧をかけたりという感じでした。

 

私はどんどん日本人が嫌いになり、日本特有の全体主義も嫌いになっていきました。

連れション(一緒にトイレにいくこと)をとても不思議に見ていた私。そして連れションを断ると一気に疎外される。

 

会話もしないのにただ集まって漫画を読んでいる光景にも違和感がありました。

とにかく集団に属さないといけなみたいな風潮にはいつまでも馴染むことができませんでした。そして馴染めない者は疎外され、疎外されるだけでなくいじめにあうのです。

 

アメリカ人でもない、日本にも馴染めない、日本語もわからない、授業もさっぱり。成績も当然壊滅。

 

私の人生はアメリカに行ったことにより、良くも悪くも人とは大きく違ったものになりました。今考えれば貴重な体験の連続でしたが、当時は地獄のようにつらいことばかりと思っていました。そしてひたすらに日本が嫌いになっていきました。

 

日本人としてもアメリカ人としてもアイデンティティはなく、どちらにも馴染みきれない。アメリカは自由で人種のるつぼで誰で受け入れてくれる、何ていうことも本当はありません。

 

近所にあった幼稚園に入るにはクリスチャンでないといけなくて、私は形上だけでもクリスチャンにならざるを得ませんでした。

 

大統領選挙で、女性蔑視や差別発言を繰り返したトランプが勝ったような一面もアメリカは多分に持ち合わせています。ヒラリーがそれほど嫌われていたという一面もありますが。

 

話がだいぶそれましたが、宇多田ヒカルとは勝手に共通点を強く感じてしまいます。

 

アメリカと日本の狭間にあるアイデンティティ。(彼女とは逆に私は圧倒的に日本寄り)

成人してから親を失った自死遺族。

親を失い、その後自らも親になる。

 

宇多田ヒカルとは年齢も近く、彼女の楽曲もとても好きなので、陰ながら応援していきます。