悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

【痛ましい外苑アート火災のこと】子を失う悲しみ、子を救えなかった絶望感

神宮外苑火災事故

とても痛ましい事故が起きました。

芸術祭のアート作品の中で子供が遊んでいるときに突如火災が発生し、火のまわり、勢いは激しく、目の前で父は息子を助けることができず…、鎮火したあと、展示物をどかしたその下には焼死した息子が…、そんな事故痛ましい事故でした。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

動画や写真などネットですぐに拡散され、父親の悲痛な叫びや亡骸さえも拡散されてしまいました。残酷な世の中です。遺族としても二次、三次被害を受けやすい状況です。

 

しかしこの動画のおかげでいくつかわかることもあります。

火の凄まじい勢い、初期消火の失敗、野次馬の多さなどです。

 

この作品で使われていてかんなくずは、消防法第9条の4で指定可燃物と定められており、一定の数量を超えて貯蔵(かんなくずは400kg)すると消防法で規制がかかってきます。

 

指定可燃物とは、火災が発生した場合にその拡大が速やかであり、又は消火の活動が著しく困 難となるものと消防法で定められています。

 

電球を触れば熱い、熱いものに燃えやすいものをずっとくっつけておくと火が出るということは誰でも知っている知識なのではないでしょうか。ハロゲンヒーターの前に洗濯物をぶら下げていると火災の危険があるとかわかると思うのですが。しかも工業大学の学生なら尚更です。

 

また運営側もずさんです。体験型の展示物であれば必ず安全管理をする人間を付けておくべきです。転落、転倒など怪我が発生する可能性があるからです。

 

消火器は置いておくべきだったか?

これは難しい問題です。消防法に準じて各市町村で定める火災予防条例では、催し物を開くときに届出が必要になります。

 

東京の条例では、第十八条に

八の二 祭礼、縁日、花火大会、展示会その他の多数の者の集合する催しに際しては、消火器を備えた上で使用すること。

とありますが、これは「液体燃料を使用する器具の取扱い」の場合に限ってです。つまり気使用器具等の使用及び危険物の取扱いがない限り、特段消防署に届け出る必要もありませんし、消防も特段指導はしません。

 

今後人の集まるところには、たとえ野外でも消火器等の消火器具を設置するよう義務付けるかもしれません。

 

ネットのコメントでは、学生や主催者の責任追求だけでなく、どれだけ子供もその父親も無念だったか、同情のコメントで溢れていました。

 

焼かれる子供を目の前でどうすることもできず見つめるしかない。

本当に地獄絵図です。心が壊れてしまっても何ら不思議ではない状況です。

 

コメント欄にもだえ苦しむ子供を見えているしかなかった父親を想像すると耐え難いとありました。

 

何の気休めにも救いにもならないでしょうが、元消防士の観点で見れば、一瞬で火が広がったということは、物凄い煙だったでしょう。煙が立たず火が出ることはありません。そして人は煙の中や酸欠状態で呼吸をすると、苦しくなってさらに深い呼吸をします。これはコントロールできません。溺れるのも同じです。一度水を飲んでしまうと、さらに大きく水を吸い込んでしまいます。そこで息を止めておくことはできません。橋などから飛び込んで上がってこれないのは泳力の問題ではなく、入水時に水を飲んで呼吸困難で意識を失うからです。

 

マンホールや船の積荷内の酸欠事故でも同じです。ある理由で酸素が欠乏している状態で呼吸をしてしまうと一瞬にして意識を失ってしまいます。

 

これは火災のときも同じです。火災の逃げ遅れはほぼ全て煙です。就寝中に火災に気づいて逃げようとしても煙に巻かれ意識を失い逃げることができなくなってしまいます。

 

2階からなら飛び降りればよかったのに、と思う人もいるかもしれませんが、中でもはすでに意識不明なのです。

 

つまり何がいいたいかという子、この5歳の男児はもだえ苦しんだのではなく、一瞬にして煙に巻かれ2、3回の呼吸で意識を失った可能性が高いと考えます。

 

もだえ苦しむことはなかったはずです、もちろん煙を吸えば苦しいですが、その苦しさは2,3回の呼吸で終わりです。

 

私も消防の訓練で、水難訓練を経験しました。時間内立ち泳ぎでや浮いて泳ぎきるか溺れて助けられるかです。私は見事、意識を失い救出されました。

 

人は一瞬で意識を失い、いとも簡単に簡単に死んでしまいす。

5歳の男児も長い間苦しんだのではく、それは一瞬だったはずです。

 

どうか天国で最上の幸せを

遺された家族には言葉もありません。しかし子供は家族の記憶の中で生き続けます。