悲しみは海より碧く、深く〜suicide story〜

父の自死。私の人生。新たな命。苦悩、喜び、葛藤、そして生きるということ、死ぬということ。

大切な人を自死で失ったばかりの人へ

きっと混乱しているでしょう

 

これをしなさいということはありません。

感情を赴くままに出すことが大切です。

 

失った悲しみ

自責の念

後悔、悔やみ

怒り

不安

パニック

 

さまざまな感情が入り混じり嵐のような状態なはず。

大丈夫、その嵐自体は次第に治るから。

 

葬儀や手続きでてんやわんやで悲しんでいる暇がなかった人もいるはずです。

多くの場合はその後どっと押し寄せてきます。

でも、それに不安にならないでください。

心の正常な反応です。

 

食欲がない

眠れない

思い出す

不安感

イライラ

 

これも心と体の正常な反応です。

心療内科に行っても、抑うつうつ病と言われ、心と思考を強制停止する薬を処方されるだけです。

 

それにどっぷり浸かるとそれがないと生活ができず、薬と精神科医に管理された人生になってしまいます。

 

悲しみは当たり前、憔悴して当たり前。

だって大好きだったあの人、大切だったあの人が自ら逝ってしまったのだから。

 

その心の動きに付き合ってください。

それがグリーフケアなのです。

グリーフケアを何かにわざと追われるような生活をしたり、薬や精神科医に思考強制停止されてしまうと、後々が悲惨です。

 

後々のことを考えられないのは当たり前です。

大切な人の突然の死は、己の生命にも直結するくらいの重大な出来事なので。

 

失ったばかりのときは、ただただその人を想って想って想って、自分を責めて責めて責めて、打ち拉がれて、泣きじゃくって、食べれなくて、眠れなくて。そんな生活を送れるだけ送ってみてください。

 

学校や仕事がある人がほとんどでしょう。

元気に振る舞う必要はありませんが、誰も理解してくれません。

表面上の言葉で傷つくことも多々あるはず。

気にしちゃうでしょうが、気にしないよう。

 

誰も理解してくれません。

帰ってからまた泣きじゃくりましょう。

 

そんないつまでも立ち直れない自分に嫌気がさすかもしれません。

でも大丈夫。それ自体はずっと続かないから。

今はそれでいいの。数年それでもいいの。

悲しみは減らないし、止まない雨はあります。

でもその中での生き方をだんだん身につけていくのです。

 

一つオススメなのが、繋がりです。

遺族の会でも、ネットでもいいです。

あなたの嵐のような感情を聞いてくれる場を探してみてください。

 

居心地が悪ければすぐ撤退すればいいだけ。

遺族の会は、基本スタッフ(自死遺族の方が殆ど)がしっかり研修を受けてるので、不快な思いをさせられることはまずないです。

 

誰かと繋がることを意識してください。

 

あなたを取り巻いている嵐は必ず落ち着きます。必ずです。

大丈夫、絶対大丈夫。

 

気休めではありません。

大丈夫、絶対大丈夫。

 

 

自死遺族と仕事

仕事は生活する上で欠かせません。

仕事が好きな人もいれば嫌な人もいます。

仕事が好きな人のほうがきっと圧倒的に少ないでしょう。

 

たとえ好きなことを仕事にしたとしても、人間関係や通勤、残業、給料など悩みは尽きないものです。

 

しかし自死遺族にはさらに困難が待ち受けます。

「普通の死」とは違い世間では「異質な死」と思われています。

 

葬儀をするかしないか、本当の死因を公表するかしないか、しない場合はなんて口裏を合わせるか。

 

どの選択をしても苦渋に満ちています。

私の家では、葬儀をし、死因は別のものにしました。つまり家族で口裏を追わせました。ただし田舎の親戚には正直に伝えました。

 

何も悪いことも、恥ずかしいこともしていないのに、嘘を突き通さねければいけない。

それがなくなった人への「尊厳」と言う人もいるでしょうが、それは尊厳なのでしょうか。

 

忌引休暇を数日取り、職場復帰する人もいるでしょう。

私も2日後には復帰していました。

 

亡くなる前月に結婚したばかりで、比較的若くして親を亡くしたということで、職場の人から多くの励ましの言葉をもらいました。

 

「親が先に死ぬのは自然なことだから」

「結婚式は見せられて良かったね」

「あんまり落ち込むな。誰でもいつか死ぬんだから」

 

抱えていた大きなイベントでてんやわんやしていた私は、落ち込んでいる素振りなど見せることもなく、仕事に奔走していました。

 

しかし自宅に帰り、数日前の出来事から葬儀まで走馬灯のように思い出し、そして仕事での言葉が頭のなかでループし始め、パニックになりました。

 

同僚の思いやりのある言葉でできた研ぎ澄まされたナイフが、まだ血が滴る傷口を深く深くさらにえぐるのです。

 

そして数日後、職場でパニックを起こし倒れてしまいました。

病休や休職を挟みながらも、なんとか完全復帰しようとどうにかこうにか数年働き続けましたが、ダメでした。

 

私が担当していたイベントだけは大成功に終わらせましたが、その記憶はほとんどありません。いろんな準備をしながら人気のない裏では涙が出ていたことだけは忘れません。

 

仕事をするということは、同僚やお客、取引先など、多くの第三者と顔を合わせることになります。そして当然ながらその第三者と自身のプライベートは一切関係ありません。

 

プライベートを表に出してしまうなど社会人失格です。

そして社会人失格をやり尽くしてしまった私は長年の夢でやっとやっとなった職業から離れざるをえませんでした。

私の判断というよりもはや制度上の問題でした。

 

父が、親父が本当に喜んでくれた職。

私はもはやまともな生活すらも送れなくなっていました。

 

自死遺族の人でも、ずっと気を張りながら、歯を食いしばりながら働いている人は多くいます。独り身の人、結婚をしたばかりの人、子供を育てている人、親を介護している人。

 

辞めたくても辞められない。生きているようで死んでいる。

そんな数年で私は完全に壊れてしまいました。希死念慮が強く、薬漬けでした。

 

もう外で働くことは諦めています。

でも働いていないわけではありません。

徐々に徐々に、軌道に乗るように頑張っています。

 

日本は出産や育児、有給ですら取りにくい、(もしくはそれすらない)、社会です。

そして外れてしまったレールにはもう戻ることはできません。

再チャレンジを許容しない社会です。

多様性は認めず、みんなで首を絞めあう社会です。

 

子供のときにアメリカから帰国し一切日本語が通じつ、猛烈にいじめられていたあの頃に感じたことを、こんな大人になっても全く同じことを思いました。

 

なにも成熟しない日本。

せめて苦しみを感じている人々が少しでも繋がり合い、陰ながらでもともに支え合い生きていければと思います。

何度も心を癒やしてくれた「Goose house」

先日のブログでKOKIAを紹介しました。

この人の歌に心奪われ、涙したという内容でした。

 

落ち込んでいるとき、どうしても気分が滅入ってしまうとき。

誰でもそんな日はあります。

 

大切な人を失った人の場合、その人を亡くした命日やその人の誕生日が近くなるとどうしても落ち込んでしまう場合があります。

 

当然の反応です。

大好きだったのですから。

 

そんなとき、私は好きな曲をとにかく流し続けることをします。

お酒でも飲みながら歌詞に目を落とし、歌声を聴き、映像を觀ていると心が安らいできます。

 

体を動かすのも大好きなのですが、落ちたときは体も心も鉛のようでどうにもなりません(ここ数年はありませんが)。

 

私が長い間、心安らぐ楽曲を提供してくれてるのが「Goose houseです。

普段からユニットとして常に活動しているわけではなく、シンガーソングライター、異なるミュージシャン同士が「ハウス」と呼ばれるシェアルームに集まって音楽活動を行っている

https://ja.wikipedia.org/wiki/Goose_house

www.youtube.com

 

もしよければ何曲か聞いてみてください。

流行りの曲から昔の曲まで幅広くカバーして歌っています。

オリジナル曲も多くあります。

 

特徴は何より彼ら彼女らがとても楽しく歌を歌っているところが魅力的です。

  

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フラッシュバックで一瞬であの瞬間に振り戻されるPTSD そしてあのシーンを何度も何度もリアルに再体験する

こんな記事がありました。

headlines.yahoo.co.jp

 

自死遺族の中にはPTSDの人も多くいるはずです。

大切な人の自殺の現場を目の当たりにすれば、PTSDになる確立が高くなるのは当たり前だと思います。

 

自分でほとんどコントロールすることなく、当時の光景が頭のなかにフラッシュバックし、あたかもその現場にいるような体験をします。

 

そのトリガー(きっかけ)はさまざまあり、似たような状況に遭遇したり、気分や体調の良し悪しでフラッシュバックが起こったりします。

 

フラッシュバックが起きると、気分が落ちるとかそういうレベルではなく、パニック症状やうつ状態を引き起こします。

 

何度も何度も地獄絵図のシーンを再体験させられます。

 

これは自死遺族に限ったことではなく、消防や警察、自衛隊など人の酷い死を目の当たりにする現場に多くあります。

 

職場ではPTSDへの対策が取られますが、ほとんど形だけです。公務員ですから形だけPTSD対策したよっていう実績が欲しいだけです。本当にPTSDになった人は結局辞めざるをえません。そういう職場なのですから仕方のないことなのかもしれませんが…。

 

しかし公務員には失業手当はないので、基本的に失業した瞬間からお金は一錢も入ってこず、生活が一気に困窮します。

 

なぜ失業手当がないかというと、公務員は犯罪行為を行わない限り首にはなりませんし、組織が倒産することもないからです。(夕張みたいなケースはありますが)

 

辞めていく人は地方公務員法で懲戒解雇された人か、自らの自由意志で辞めていく人だけだから、保険はかけなくともいいというわけです。

 

しかし実際は疾病等で辞めざるをえない人は多くいます。手厚い病休や休職制度がありますが、結局PTSDなどコントロールし難い病気の場合はやはり辞めるしかありません。「人の死」でPTSDになったのだから、「人の死」に原則接することができなくなります。

 

たとえ現場から外れて内勤の事務職なっても書類上で「人の死」に接することは多くあります。イベントなどで市民への指導で、人工呼吸や心臓マッサージなどの心肺蘇生法を行うことさえできなくなる人もいます。

 

そうなるともはや必要のない人材です。組織からは不遇の扱いをされ、その上でPTSDと戦わないといけなくなるわけです。そして失業保険に入っていないので辞める選択肢はほぼなくなります。

 

満足に働くこともできず、辞めることもできず、PTSDも良くならない。

もう選択肢としては「自ら死ぬ」しかなくなってしまう人がいても全く不思議ではありません。

 

もちろん民間でも失業保険があっても病気を抱えながら辞めることは困難を極めます。

民間では病休や休職制度を大手以外はまともに使わせてくれないところがほとんどです。また非正規や派遣社員、アルバイト、パートタイマーなど正社員以外の雇用形態の人は尚更です。出産で休むだけで辞めざるをえないところさえ珍しくありません。

 

日本では一度外れたレールから再スタートを切りにくい構造です。(幼少期からレールを外れていた私ですが…)

そういった息苦しい社会構造が自殺大国にしてしまっている大きな要因の一つだと思います。

 

PTSDに苦しんでいる人に一刻も早い根本治療ができることを切に願います。

 

話が飛び飛びになってしまいました。

警察の現場検証は大切な人の自殺を目の当たりにしたばかりの私にはきつすぎた

父を下ろした私。

私の仕事が消防ということもあり、心肺蘇生も試みました。

しかしそれは絶望の中でのものでした。

 

死後硬直が始めっているのがすでにわかっていたからです。

でも僅かな希望を持ちながら下ろしました。

なぜならまだ腕や手に硬直はなく、少し温もりを感じたからです。

 

しかし、下ろした瞬間…

父が棒のように倒れていきました。

 

脚(四股)の硬直は死後およそ7時間ほど時間が経過しないと起こりません。

父が棒のように倒れていった瞬間、頭の中が一瞬無になりました。

真っ白ではなく、まるで宇宙に放り出されたような…。

 

そして嵐が頭のなかで起きました。

無駄だとわかっていても、必死で救急隊が来るまで心臓マッサージをし続けました。

 

たった数分が何時間にも感じました。

あぁ、助けを本当に求めている人にとってはこの数分が本当に時が止まったように感じ、その地獄の時間を耐えるしかないのだと強く強く実感しました。

 

先着したのは消防隊でした。

事情と私も同職ということを伝え、私は引き続き心臓マッサージを続け、消防隊はAEDを準備していました。

 

そしてすぐ救急隊が到着し、消防隊は救急隊にバトンタッチしました。

そして当然のことながらAEDは反応しませんでした。

それは生体反応がないからです。電気を流しても意味ないからです。

 

当たり前に知っていることなのに…

諦めかけようとしている救急隊を必死に止め、万が一があるかもしれないから救急車で病院に搬送してくれと懇願しました。

 

救急車の中で震える母と同乗し、搬送されました。

とても静かだったよな、とてもうるさかったような…

でも記憶の中には静寂だったイメージが強烈にあるのです。そんなはずはあり得ないのに…。

 

ちょっときついので次回にします。

自死遺族になって、本当に本当につらかったとき出会った本当に本当に心に染み涙した歌

誰もがお気に入りの歌があるはずです。

その歌には大抵何かの記憶がリンクしているのではないでしょうか。

 

初恋の歌

失恋の歌

友情の歌

受験で励まされた歌

結婚式での歌

 

好きなドラマやCMでタイアップしていた歌なども耳に残ることが多いのではないでしょうか。

 

好きな歌手やバンドがあれば彼ら彼女らの楽曲は無条件で好きという場合もあるでしょう。

 

ラジオをよく聞く人なら、突然流れてきた知らない曲に心惹かれて曲名を必死で調べた経験を持っている人もいるでしょう。

 

私もよくラジオを聞くので、さまざま種類の曲が耳に入ってきます。

曲との出会いも一期一会です。

 

ある日、近くの大きい公園でイベントがやっていました。

イベントなんかにはまず足を運ぶことはないのですが、秋のいい季節の中、大好きなその公園で、緑ガーデニングフェアみたいなのが催されていたので足を運んでみました。

 

そこでたまた大きなテントの中にステージが設営されており、歌手が来るとのことでした。全く知らない「KOKIA」と言う人でした。

 

POPで心打たれ涙する歌を歌うみたいなことが書かれていなので少し気になってしまいました。

 

自死のことや自身の体調、そして仕事のことで本当にしんどく心身ともに余りに絶不調の頃でした。

 

そして彼女の歌を聞くことになりました。

涙が止まらなくなりました。

 

人前で泣くことなどまずありませんでした。

父の自殺後でさえ、誰かの前で泣くということは殆どなかったと思います。

お風呂でシャワーを浴び、目を閉じた瞬間、あの光景が蘇り、膝から崩れ落ちむせび泣いていました。

 

そんなときは飼い猫のジジがいつもお風呂の前でミャーミャー鳴いて心配しに来てくれました。そんな14歳のジジもまだまだ元気です。

 

話は逸れましたが、そんな私が不覚にも泣いてしまいました。

涙が止まらなく、涙が止まらなく。

 

あの歌声を表現できない自分の語彙力にガッガリですが、よかったら聞いてみてください。

 

下記にYouTubeと公式サイト、Wikipediaのリンクを貼っておきます。

 

またなにかおすすめがあれば是非教えてください。

 

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

www.kokia.com

 

KOKIA - Wikipedia

自死遺族の会に参加して、ショックだったこと

当時はmixiが大盛況でした。

 

その中で自死遺族のコミュニティがあり、私が遺族なってから1ヶ月経たないうち、承認してもらい加入しました。

 

個人的に仲良くなった人と連絡を取り合い、遺族の集いをやるということで、初めて他の自死遺族の方とお会いしました。

 

遠路はるばる東北の方から参加されてる方もいました。

 

集いのほとんどの人は、他の自死遺族の会に参加したことがあった人たちでした。自ら会を運営してる人もいました。

 

心臓が口から飛び出るほど緊張し参加したのを覚えています。

 

インターネットのやり取りで誰かと対面するのさえ初めてだったので、緊張感と不安感は募るばかりでした。

 

一方、私がとても期待したのが私よりも年数を積んでいる自死遺族の方々が、どう乗り越えどう克服し、どうやってまた自分の人生を取り戻しているのか知りたくてたまらなかったのです。

 

実際は…、

十数年経つ人ですら、話すときは涙し未だに受け入れられないと、数年経っている人でもまだ昨日のようだと言う。

 

私は愕然としました。

そして悟りした。

 

乗り越えるとか、時が解決するとかそういう問題ではないんだと。

 

あぁ、何年経っても大切な人との自殺での死別

は癒されることもなく、軽くなることもなく、生涯背負うものなのだと強く強く実感しました。

 

あと少しで10年経とうとしている今、あの時の自死遺族の方々の気持ち、想いが強く強くわかります。

 

あの時の人びととはmixiを離れてからほとんど接点がなくなってしまいました。

 

元気にしてることを祈ってます。