愛する人の自死を通して〜私は生きる〜

父の自死を通して見つめた人生、命、生きる、死ぬ、の探求

命の天秤

人命救助の最前線で、多くの命を見てきました。

災害出動するということは、もはや尋常ではない災害が起きているということです。

火事、事故、犯罪など。

 

あぁ、人の命とはなんて儚くそしてむごく失くなるんのだろうと思うことも、

なんて人の命はたくましいのだろうと思うことも。

 

生きようとした人、

死のうとした人、

助けようとした人、

傍観者であった人々、

現場には様々な表情で溢れています。

 

たくさんの涙を見てきました。

たくさんの涙を…。

 

 

法律を扱う部署に異動になり、現場からしばらく離れました。

企業や学校、お店などしっかり安全に関する法律を守っているか、検査に行きます。

 

お店や企業は、お客さま第一と謳いながらも、その安全面をないがしろにしているところは少なくありません。

 

病院でも老人ホームでも幼稚園でも小学校でもお店でも。

命を預かる施設ですら利益優先、自己都合優先が少なくありませんでした。

 

「だっ、」、「でも」、「お金が」、「人手が」、「時間がなくて」・・・。

人員や資金の問題もあるのは当然ですが、不特定数の人を集めるということは、その一人ひとりの命を安全を確保することが最重要、最優先事項です。

 

お店や病院、宿泊所、娯楽施設に行った際はしっかり確認してください。

ドアの上についている緑に光る誘導灯を。

これは視界がゼロになっても逃げられるように設置されています。

 

少なくない施設は、誘導灯がある最終避難口であるドアの前に商品や荷物を置いたりしています。

災害時、人はここに殺到し、開かなければ積み重なって死ぬだけです。

 

雑居ビルは、とくに危険である場合が多いので要注意です。

漫画喫茶、カラオケ、居酒屋など災害時に避難困難な業態が、避難困難な建物の上層階地階にあるというのは恐ろしいことです。テナント賃料が安いので薄利多売のところが集まるのは当然なのですが、人命を預かっているという意識は希薄です。

 

たとえば病院でも介護施設でも、廊下は避難する際の有効な通路です。

よほど大きな廊下でない限り、そこに大きな長椅子やロッカーなど置いたら、いざというときに車椅子が通れなかったり、避難の際の障害になってしまいます。

しかし施設側は日常の便利さ、都合の良さを優先してしまうのです。

命の天秤はないがしろです。

 

学校もずさんなものです。

保育園で設備基準が厳しくなるからと、園児の数を少なく見積もっているところもありました。それこそ命最優先で考えるべきなのに・・・。

 

自分たちが運営している消防法違反の施設に自分の大切な人が訪れるかも知れないのに・・・。

人は命が失くなるまで、命の天秤が軽く見られがちです。

 

とりあえず、お店や病院などの施設に入ったら誘導灯の下に何も荷物が置いていないことだけは確認しましょう。

 

そして雑居ビルで上階地階での飲食や娯楽は十分気をつけましょう。

近づかないことが一番の安全策ではありますが。

あくまで私見ですが、安全対策が正しくされていないところは他の部分もずさんです。

飲食を扱う業態では衛生面など。

根腐れしてしまうと、その先の葉っぱも花も枯れてしまうのです。

 

大切な人に伝えてあげてください。

わたしの一部を作った本たち

Twitterのフォロワーさんから、「どういった本や映画を見て、今の思考に辿り着いたのですか」という質問をいただきました。

 

本は子供の頃から好きで、毎週図書館で10冊以上は借りて読み漁っています。

気に入った本や図書館にない本、専門書は購入します。

 

外出先には2〜3冊持っていかないと不安になってしまうほどです。

kindle電子書籍も、スマホタブレットで読むので、外出先に本を持っていくのがだいぶ楽になりました。

 

紙の本の良さも当然ありますが、電子書籍電子書籍で素晴らしいメリットがたくさんあるので、電子書籍を頭ごなしに否定している人はもったいないなぁと。

 

さて今のわたしの思想形成に大きく影響した本はなんなのかと考え本棚に向かいましたが…、選びきれず。

 

カテゴリー 別で少し紹介させていただきます。

 

自死遺族になったばかりのときは、やはり「自死」関連本を読み漁りました。

もちろん最初に活字を読む余裕も楽しさも消失していましたが、ある時期から今度は取り憑かれたように本をむさぼり読みました。

 

 最初はやはり同じ体験をされた人の本から入りました。

物語のような、小説のような構成で読みやすいものでした。

しかし後半から、あしなが育英会ライフリンクの清水氏の話がメインになり、

どちらかと言うとこの活動内容の広報のようにも感じられました。

もっと表紙の彼の「生の声」に期待したのですが、よく悪くも編集されすぎた感がありました。

「ぼくの父さんは、自殺した。」―その一言を語れる今 (Soenshaグリーンブックス)

「ぼくの父さんは、自殺した。」―その一言を語れる今 (Soenshaグリーンブックス)

 

 

 

次もあしなが育英会関連の本です。

主に「自死遺児」の体験文集です。

自死遺族特有の想いが生々しく書かれており、強く共感する想いがたくさんありました。

ただ文集に乗せるぐらいなので前向きな姿勢の人が多く、違和感もありました。

そしてやはり後半はあしなが育英会の活動広報です。

広報をしたいなら違う媒体で違うタイトルをつけてすればいいのにとも思ってしまいます。

 自死遺児を広報活動に利用しているのではと、うがった見方もできてしまいそうです。

自殺って言えなかった。 (サンマーク文庫)

自殺って言えなかった。 (サンマーク文庫)

 

 

 

 

次に読んだのが、自死遺族関連の本でした。

 自死遺族特有の感情の波やその流れが説明されています。

ただその自死遺族に対してのアプローチ、自殺予防などがメインテーマなので、自死遺族当事者がなにか救いやきっかけをみつけるための本ではない気がします。

サポーターが読むべき本なのかもしれません。

自殺、そして遺された人々

自殺、そして遺された人々

 

 

 

この本は、遺族の体験集から、遺族へのアンケート、そして専門家たちの悲哀のプロセス、分かち合いの説明が丁寧に述べられています。

自死」が遺すもの、では自死遺族に注がれるまなざしや自死者の心理説明があり、なるほどと思う箇所が多々ありました。

グリーフケア・サポートプラザという団体のもと、書かれた本なので、事例も豊富で多くの自死遺族との接触があり、自死遺族を理解できる本だと思います。

自ら逝ったあなた、遺された私―家族の自死と向きあう (朝日選書)

自ら逝ったあなた、遺された私―家族の自死と向きあう (朝日選書)

 

 

 

この本は自死遺族の気持ちの移り変わりをもっとも体系的に順を追って説明し、その過程での注意点など書かれています。

なぜうつ状態なり、なぜ強い希死念慮が出てくるのかも説明があり、自死遺族、自分の心の経緯を理解する上でもっとも参考になった本です。

 

 

 

 自殺、自死遺族、死にたい気持ちなどについて全般的に書かれており、セラピー的な語り口調です。ただ内容が広すぎ、あちこちに飛んでしまう感じがあり、これがいいのか悪いのか。

「心理学者、入魂の書き下ろし」!というほどのものではないなぁ、と。

あなたが死んだら私は悲しい  心理学者からのいのちのメッセージ (Forest books)

あなたが死んだら私は悲しい 心理学者からのいのちのメッセージ (Forest books)

 

 

 

「晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死」という帯。

哲学者の理論武装は隙がなく、理路整然と自死への道のりを述べている。

しかしそれでもなお、最期まで葛藤に満ちていたように思う。

 

生き方は死に方。 

「死ぬこと」、「生きること」について深く深く考えさせられた。

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

 

 

 

自我に取り込まれた「死」、「死に憑かれた自我」。

この衝撃的な文言に吸い込まれるようにこの本に取り憑かれました。

精神医学者のフロイトの「死の欲動」を臨床現場からの考察し、「死の選択権」、「自殺する権利」を倫理学的考察している。

かなり専門的な本で難解なところもあったが、「死」を体系的に深く学べ、私の死生観や自殺への認識が再構築できた良書でした。

 
死の欲動―臨床人間学ノート

死の欲動―臨床人間学ノート

 

 

 

 

以上が、自殺、自死遺族に関する私が読んだ主な本です。

自分がつらい思いをしたのに、他者の自死体験談や、メンタル的に悩んでいるのにメンタル系の本を読むことは苦痛なときもあり、そのたびに歩みを止めてました。

 

私は何に苦しみ、なんで苦しみ、いつまで苦しみ続けるのか。

なぜ人は自ら死ぬのか、それは果たしていけないことなのか、命は誰のものなのか。

 

「知らない」は時として恐怖にも繋がります。

まずは「知ること」から始めました。

 

消えたい気持ち、消えていったあの人も気持ち、

死んでいく人々、遺されていく人々。 

 

 

次は、メンタル系の本を紹介したいと思います。

簡単な書評ですが、思い出すためにまた本を引っ張り出し、内容を思い出しているので、少しお時間かかってしまいもう訳ありません。

 

再読で、再発見でき新鮮な気持ち、昔の無我夢中で読み漁った時期のことなど走馬灯のように思い出し、物思いにふけっています。

 

ありがとうございます。

置かれた場所に執着せず、綿毛のように

 

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

 

内容紹介

「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください」
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

 

大ベストセラーです。

内容は上記のAmazonサイトからの引用部分ですべて把握できるとおりです。

著者は、キリスト教カトリック修道女である渡辺和子氏です。

マザー・テレサの通訳を務めた人なのだそうです。

 

父は、「2・26事件」の軍事クーデターで殺された渡辺錠太郎で、9歳のときに自宅で目の前で殺害される現場をみたそうです。

 

 

あぁ、なるほど。

置かれた場所で咲きなさいとは、きっと著者が体験したこの逃げられない壮絶な過去の体験が深く関わっているのだろうなぁと思いました。

 

過去の事実から逃げること誰もできず、良くも悪くも生涯ついてくるものです。

受け入れなくても受け止めきれなくても、肯定しても否定しても、過去の一つ一つの経験、体験が積み重なって今の自分ができています。

 

そういった意味では、確かに置かれた場所、つまり過去の経験の積み重ねから構成されている今の自分から逃げることはできず、置かれた自分で花を咲かせるしかない、という主張はある程度腑に落ちます。 

日本人は自己肯定が苦手で、自己否定が世界的に見ても強いとも言われている中、ありのままの自分を受け入れ、自分の花を咲かせようというのはSMAPの、「世界に一つだけの花」の歌詞の中にある、

世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」

と通じるものを感じます。

 

当然自己は簡単には変えることはできません。マインドコントロールや宗教にでも入らない限りは。 

でも意識を少しずつ変えていくことはできます。

 

小さな幸せや喜びを見つけ、その小さな幸せや喜びをただ認めること。自分を卑下しがちなときに見落としがちなものです。

 

自己卑下は、「幸せの否定」です。

 

「わたしには幸せになる権利なんてない」 という人がいますが、幸せになる権利とは一体なんなのでしょうか?

 

もし大切な人を守れなかったから、というものであるのならば、同じ状況だった人にも、その権利のあるなしが適用されてしまいます。

あなたは大切な人を守れなかったのだから幸せになる権利はない、と。

 

「なんであんたはそれで笑って生きてられるの?」という全く関係ない他者に対しても恨みつらみのルサンチマンの塊となってしまいます。

 

「わたしには幸せになる権利はない」という主張は、

「同じ経験をした人も、幸せになる権利はない」と言っているのと変わりありません。

 

まずは否定しないことが大切です。

美味しいものを食べたら、美味しいと、

晴れた日には、気持ちいいと、

お笑い見てクスッとして、おもしろいと、

買い物が普通にできて、良かったと、

幸せはそこら辺に転がっています。

 

もちろん感じ方は千差万別です。

わたしはラーメンとビールとチョコとスポーツと自然との触れ合いが個人的な幸せの指針です。

もちろんあの直後は、感受性が完全にシャットダウンしていて、何を食べてもお酒を飲んでも走りにっても何も感じられませんでした。

でも否定し続けない限り、いつかなにかの幸せに気づくはずです。

もしかして何か一つ気づいているのでは?

それを否定していませんか?

 

話が逸れました。

 

「置かれた場所で咲きなさい」、この本の受け入れられないところは、つらい状況であってもそこで咲き続ける努力をしなさいという主張です。

昔は石の上にも三年と言いました。

時代のスピード感や社会情勢は圧倒的に変わったのにいつまで3年も耐えないといけないのか。

終身雇用制度があったからこそ、ある程度、時間や問答無用の転勤など身の犠牲があっても耐えるに合理性があったかもしれませんが、いまは時代錯誤甚だしいとのではないでしょうか。

 

不条理な世界からは一目散に撤退するべきです。

弱いから撤退するのではなく、これは勇気ある撤退です。

 

綿毛のように風に吹かれるように生きていける時代になりつつあります。

そこに固執する必要はありません。

学校も、部活も、会社も、家庭も。

 

結局、支離滅裂になってしまったので、ここで一旦終わりにします。

 

次回は、TwitterのDMで「どういった本や映画を読んで、そのような思考に至ったのですか」という質問を頂いたので、それにお答えする内容にしようと思っています。

 

 

 

 

 

 

悲しみよ、こんにちは

喪失体験の調査でなにを喪失をするのが最もつらいかという論文があります。

・死別

・離別

・肉体的自己(体の一部、健康)

・所有物

・ペット

・環境

 

この順番にショックの度合いが大きいとのこと。

また死別の中でも、伴侶、子、親などで心理的ショックの影響度が違うとされています。あえて順番は書きません。

 

でもこれはあくまでただのデータの一つで、一つの参考にはできるけど基盤にはならない。

だってあなたの、わたしの悲しみは自分自身だけのものであって、他者と比較するものでもないし、たとえ同じ家族でも想いは千差万別。

 

あの人はあんなにつらいのに、

あの人はあんな境遇なのに、

あの人はあなたと同じ体験をしたのにもう前を向いているの、

だからあなたも頑張りなさい

 

こんなことを言われとても傷ついたことがある人も多いはずです。

震災でも町や住民、はては国までみんな復興ムードで、一人悲しんでいることが後ろめたいと感じてしまう人も少なからずいます。

 

確かに他者から言われるときつい、あまりにきつい。

でもこれ、自分自身が自分に向かって発した言葉ならどうだろう。

あの人もあんな体験をしてるんだから、わたしも頑張ろう。

 

これなら少しは心強いものになるかもしれない。

それが自死遺族の集いであったり、SNS等での繋がりであったり。

 

わたしたちはみんな違うけれど、でも自殺で大切な人を失ったというただその点のみにおいては同じ体験をした。

 

もっともタブーと言われているている死である「自死」、「自殺」。

 

悲しみは消えない

それが愛だから

 

後悔、自責は消えないよ

それはあなたに、それでも生きていてほしかったから

 

わたしは死なないよ

それはあなたが生きた「命」を肯定したいから

あなたの分まで生きるなんて大層な思いは微塵もない

あなたに早く会いたい思いは一時も消えない

それでもわたしは生きるのよ

 

それはあなたと出会えた「命」の肯定だから

 

 

 

 

 

【喪失体験による7段階の悲哀のプロセス】あなたのつらさ、苦悩、自責、虚無感の抱擁こそが、あの人への「愛」 

自分より大切な人を自殺で失うということ

自分より大きな存在であった人を自殺で失うということ

かけがえのない人を自殺で失うということ

自分の分身のような人を自殺で失うということ

 

体の一部が、半分が、いえ、魂そのものが失くなってしまった感覚

海の底にどんどん沈み、光が遠のき、体は重くなり、生きるという意識すら失い、底の見えない闇に吸い込まれていくような感覚

 

色も匂いもないまるで灰色の世界

感覚がない

しかし一方、音や光、ひそひそ声、その他なにかに対する感覚だけは異様に過敏になっていたりもする

 

感情はまるで嵐

 

大切な存在を喪失すると以下のような7段階の悲哀のプロセスを辿ります。

①初期 ・ パニ ック ( シ ョ ック、 否認 な ど)

②第 I 期 ・ 苦悶 (悲 し み、 絶望 な ど)

③第 II 期 ・ 抑うつ

④第 Ⅲ期 ・ 無気力

⑤現実直視

⑥見直し (意味の探求、 希望など)

⑦自立 ・ 立ち直り

 

これは生前少しお世話になっていた故・平山正巳精神科医が提唱していたものです。

そしてこれはあくまで一つの例で、誰もがこの順番を段階的に踏むわけではありません。

 

 「否認」と「絶望感」の間に「怒 り 」を生じたりもし、何度も往復したり、相互に影響し、同時に現れ、繰り返したりもします。

 

しかしおおよそ自分が今どの段階なのか客観的に知っていることは、心の安定に大きく影響します。

 

またここで問題なのが、なにを持って自立であり、立ち直りであり、回復なのかは明確ではありません。

そもそもその回復や立ち直りが必要なのかも私は懐疑的です。

 

痛みやつらさや苦しさは、逝ってしまった人への「愛」です。

「愛」が故に苦悩が深いのです。

 

強いて回復を定義するならば、「辛苦の抱擁」が出来たときだと私は解釈します。

喪失体験からの深く長く続く辛苦は、愛です。

辛苦を消すことなんて出来ません。

する必要もありません。

 

必要なのは抱擁して生きるということ。

大事に抱擁してあげて。

消そう、紛らわそうだなんてしなくていい。

 

 

 

 

自殺の実態

平成29年の自殺者数は21,321人。

毎日約58人が自ら命を絶ったということです。

 

つい数年前まで、10年間近く自殺者数は3万人超えでした。

自殺者数は減っているとは言え、未成年は増えているという現状、20〜30歳までの死因は1位は「自殺」です。

 

また15〜19歳の死因も不慮の事故にに続き、2位となっています。

 

一人の自殺や自殺未遂により、深刻な心理的影響を受ける周囲の人は5〜6人いると言われます。

 

つまり2万人が自殺し、少なくとも10万人は深刻な心理的影響を受けているということになります。

 

平成26年の自損行為での救急車の出動件数は約6万件、 搬送数は約4万人です。

これが現在の大まかな自殺の実態です。

 

他人事ではなく、いつだれが何らかの形で当事者になるかはわかりません。

 

 

ブログ久しぶり更新&Reborn

久しぶりの更新となりました。

更新というより、全ての記事を一旦削除し新たに書き始めます。

 

このブログの目的は、自分の体験してきた人生を、「過去の自分、今の自分への投げかけ」を通して、誰か一人にでも何らかの羅針盤になってもらえたらという願いと、自分自身の再生への歩みを記録ためです。

 

キーワードは「自殺」、「自死」、「いじめ」、「再生」、「命」をメインに広げていく予定です。

 

Twitterで日々のつぶやき、ブログではTwitterでは収まりきれない内容を。

 

よろしくお願い致します。